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原発事故

今回の「東北地方太平洋沖地震」で
被災された方々、御家族、
関係者の皆様には
心より お見舞い申し上げます。


福島の原発からの被害が、日増しに増大していく。
被爆者まで出てしまったこの現状を
我々はどう捉えれば良いのだろうか???

私は3歳から18歳まで、新潟県の柏崎市というところで過ごした。
福島と同じく、東京電力の原子力発電所があるところだ。
そしてまた、今回の地震よりは被害が少なかったが
2004年、2007年の大きな地震の被災地でもある。

(そして、みんな忘れているかもしれないが
 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震のすぐ後に、
 長野県と新潟県の県境で大きな地震があった)

柏崎市に原発建設計画ができたとき、私はまだ小学生だった。
当時,新聞の広告チラシに混じって
「原子力発電は安全です」との類いのチラシが
毎日のように入っていたの覚えている。

当然、町中がこの「異常なイベント」にたいして騒ぎ立てていた。
原発反対デモ行進が駅前で行われたり
「原発反対の署名運動」が行われたりしていた。
訳も解らずに「面白そうだから」とデモ行進の後についていって
母親からこっぴどく怒られたりもした。

東京電力は「住民説明会」なるものを開いて
「原発がいかに安全か!」を必死に訴えていた。
片田舎の漁民と農民を相手に「燃料棒が云々」「冷却プールが云々」
と、蘊蓄をかましていたのだろう。
たった今ならいざ知らず
今から30年以上まえの、片田舎の「オヤジ」たちに、
そんなものが解るわけはない。
「おらが村に、原子爆弾がくるだ~~」
の世界だったに違いない。

実際に建設が着工されたのは、私が高校に入ってから。
このとき、当時通っていた高校の物理の先生(仮にS先生)が
「あんなものが柏崎に出来てたまるか!」と
自分の授業を自習にして、反対運動に参加した。
当然のことながら、S先生は教師の職を辞した。

周囲の人々の反応は、S先生に批判的だった。
「あいつは馬鹿だ。あんなことをしたから、クビになった。」
当時の常識から考えれば、あたりまえかもしれない。
しかし「物理の先生が、職を賭してまでやった行動」は
その後の私に、大きなインパクトを与えた。

それから数年後、あの「チェルノブイリ原発事故」が発生。
すでに東京に住んでいた私は、友人たちに
故郷である柏崎で、何が起こったか??を話した。

そのなかの、一人の友人の言葉は、いまも忘れられない。。。。

「お前も大変なところに住んでいたんだな。
 でも、まあ、俺は世田谷にすんでるから
 絶対に原発なんか近くにできないから関係ないよ」


田舎者の僻みかもしれないが
「これが東京人の本音だ」と確信した。

そして今、S先生の行動から30年の時が過ぎて、
s先生の主張が、現実として形になってしまった。
今回の事故で、S先生のことを思い出せずにはいられない。

いまになって「ノーモア原発」などと
いかにも誇らしげに語っている輩がいる。

そんな連中に限って、原発のない地域に住んでいて
原発のある他の地域から原発の電力を供給されて
日常生活を過ごしていたりする。
申し訳ないが、私はそんな連中の言葉を信じられない。

今回の出来事で、日常的に不安を抱いている都市が
原発の数だけあるはずだ。
「次は、俺たちかもしれない」と。

いったい、誰が、何のために、
「原子力発電」なるものを作ったのだろうか??

きっと、我々の知りえない、誰かが
「得」をしているに違いない。。。。。
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プロフィール

Hideyuki  Sato

Author:Hideyuki Sato
★あん摩マッサージ指圧師
  鍼灸師 理学療法士
★フェルデンクライス・プラクティショナー

  

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